狂歌絵本『潮来絶句』 挿絵 きようかえほん いたこぜつく さしえ jpshohi06

狂歌絵本『潮来絶句』 挿絵 きようかえほん いたこぜつく さしえ

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狂歌絵本『潮来絶句』 挿絵 きようかえほん いたこぜつく さしえ

葛飾北斎筆
彩色摺中本
版元 蔦屋重三郎
縦 19.6cm
横 13.6cm
享和二年(1802)
 富士唐麿の随筆『老婆心話』には、『潮来絶句』の制作の契機が記されています。それによれば、唐麿らが芸妓たちと遊んでいるとき、谷文晁の弟である東陽が「今歌妓の唄ふ潮来節てふものを、君、詩に作り給へやつがれ筆を執るべし」と語り、これがきっかけで北斎の絵と合わせて、『潮来絶句』ができあがったというわけです。
 潮来節とならんでそれを唐麿が漢訳した詩文が付けられ、その下に美麗な色彩を駆使する北斎の、潮来節の歌意にもとづいた美人画が描かれます。しかし唐麿によるとこの華美な賦彩が幕府からとがめを受け、『潮来絶句』は発禁になったといいます。
 この図は橋下で舟遊びする二人の美人を描いていますが、ここにみられるように全編が情緒纏綿としたロマンチックな趣に彩られ、詩的な香りにゆらいでいます。
 なお、寛政期の北斎には、ときとして鳥居清長の影響を感じさせる作品があります。この橋脚を前景にクローズアップした構図なども、北斎が同種の清長美人画をもとにしながら、自己のものにつくりかえたものと考えられます。
葛飾 北斎 Hokusai Katsushika

Wikipedia Hokusai Katsushika

ウィキペディア 葛飾 北斎

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