風流無くてななくせ 遠目鏡 ふうりゅうなくてななくせ とうめがね jpshohi24

風流無くてななくせ 遠目鏡 ふうりゅうなくてななくせ とうめがね

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風流無くてななくせ 遠目鏡 ふうりゅうなくてななくせ とうめがね

葛飾北斎筆
大判錦絵 揃物(二図)
落款 可候画
版元 蔦屋重三郎
縦 36.8cm
横 24.8cm
享和~文化初川(1801~04)頃
兵庫神戸市立博物館
 眉を剃り、お歯黒をつけた母親らしい女性が、片目をつぶり遠眼鏡に夢中になっている若い娘に、何か話しかけています。北斎はこの二人の表情の対比の面白さをねらったのかもしれませんが、それはけっして成功しているとはいえません。
 むしろ、ここで注目したいのは、対角線構図の中に、人物の顔や手、傘、遠眼鏡など、いろいろ複雑な形体を巧みに配合しながら、思いきった画面構成を試みようとする、北斎の画面の構築性に対する明確な意識です。「風流無くてななくせ」は、その名のとおり七枚揃ではなかったかと考えられますが、現在のところ、この「遠目鏡」と「ほおずき」の二つだけが確認されています。
 いずれも人物の情感の表現よりも、形体による人真似のできないような、意表をついた画面の構築を主眼としており、それが近代絵画に通ずるような一面を感じさせます。「可候」落款は、寛政十年から文化八年(1798~1811)まで北斎が使用したものですが、この作品はおそらく、享和から文化初年ごろの制作ではないかと思われます。
25 市川鰕蔵の山賊 実は文覚上人 いちかわえびぞうのさんぞく じつはもんがくしようにん
葛飾北斎筆
細判錦絵 二枚続
落款 春朗画
版元 蔦屋重三郎
縦 30.7cm
枇 13.6cm
寛政三年(1791)
東京国立博物館
 北斎は安永七年(1778)に勝川春章に師事し、以後寛政六年(1794)まで春朗の名で勝川派の一員として役者絵を中心に制作活動をおこなっています。
 寛政初期の春朗は、春好、春英とならび将来の勝川派を背負って立つ逸材として期待され、蔦屋重三郎など江戸の一流の版元からもその作品を出版しています。
 この市川蝦蔵を描いた図は、寛政三年の舞台に取材したもので、「三代坂田半ごろう りょそう じっ ちんぜいはちろうためとも  。五郎の旅僧 実は鎮西八郎為朝」と対をなしています。
 見てのとおり、ここでは春朗の技術は春章の役者絵のスタイルを完全にマスターし、そのうえに彼自身の若々しさとスケールの大きさもともなって、上々のできばえをみせています。しかし、同じころ春好、春英が役者大首絵を中心として、写実という点で春章の役者絵をより一歩進める独創性を打ちだしたのに対し、この作品には春章の域から躍りでるだけの革新性が欠けており、その点で物足りなさを感じます。
 寛政五年ごろまで、春朗の役者絵を出版していた蔦屋重三郎が、翌年から東洲斎写楽(生没年不詳)という、まったく従来の常套を脱した役者絵師に乗りかえたのも、そうした点に原因があるのかもしれません。
葛飾 北斎 Hokusai Katsushika

Wikipedia Hokusai Katsushika

ウィキペディア 葛飾 北斎

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