杜子美図 天隠龍沢賛 としびず てんいんりゅうたくさん Toshibi image of the Word of Tein Ryutaku has entered. 雪舟 Sesshu jpssesh65

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ライン杜子美図 天隠龍沢賛 としびず てんいんりゅうたくさん Toshibi image of the Word of Tein Ryutaku has entered. 雪舟 Sesshu
紙本墨画 一幅 79.2×17.0cm 神奈川 松永記念館
 子美は字て、杜甫が名てある。襄陽の人、杜陵に居したのて杜陵布衣、少陵野老と自称していた。進士に挙げられたこともあったが、及第しなかった。玄宗皇帝の時、賦を献じて集賢院待制となったが、安禄山の乱の折、玄宗皇帝は蜀に入ってしまった。粛宗が立った時、鳳翔に至って上謁し左拾遺に拝せられた。また華州司功参軍となったが、官を退いて秦州に遊び剣南に流落した。大暦年中(766~778)禾陽に遊び、ある夕、大酔して卒した。その詩の品格は、甚だ雄渾て沈痛てあり、服厚なものてあった。親友てあった李白との交際も厚く、「杜甫夢李白」の詩は最も有名てあり、唐代詩人として李白と双璧をなしていた。そのため、我が室町期の五山文学僧の間にも広く愛読された。そして五山僧の理想の姿として、画にも多く描かれるようになったのてある。
 この図は、瓢々とした詩人の風格を伝えたものて、何の屈託もなく駿馬に乗る姿て捉えられている。略筆ながら、まことにその真を描いているといえよう。図上には『黙雲集』の著者てある天隠龍沢(1422~1500)が明応七年(1498)に賛を賦している。この書風は龍沢一流の癖の強い筆勢てあるが、墨跡としても立派なものてある。この幅は、人物画の描写にも、軽妙な筆捌きの中にも重厚な落ち着きと水墨の発色の良さを示し、雪舟関係資料として重要な意義を持っている作品てある。
Sesshu 雪舟

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