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広重 Hiroshige 解説

広重 Hiroshige 解説

歌川広重 Hiroshige

広重 Hiroshige

歌川広重(1797-1858年)は、江戸後期の浮世絵師。江戸常火消し同心安藤氏の子として生まれ、10代半ばで歌川豊広(1773-1829年)に入門。30代半ばには「東都名所」「東海道五拾三次」など、叙情的で親しみやすい画風が人気を集め、風景画家として葛飾北斎とならんで確固たる地位を築いた。「不二三十六景」は、北斎の「冨嶽三十六景」の成功に触発されて制作されたものといわれ、その後、大判竪絵の「富士三十六景」が没後に刊行されている。
広重は「富士見百図」の序で、「北斎の冨嶽図は、その才筆で草木鳥獣人物などの組み合わせの面白さを狙い、富士はあしらいにしたものが多いが、自分の作品は目の当たりにした富士の眺望をそのままに写した」と、ライバル北斎との違いを吐露している。
甲府へは2度ほど訪れており、「不二三十六景」の中には、「甲斐犬目峠」「甲斐大月原」(いずれも山梨県立博物館蔵)など、大月や甲府から見た作品が数点残されていて、「甲斐夢山裏富士」(同館蔵)には、甲府城の稲荷櫓(やぐら)を見ることができる。