琴棋書画 歌麿 jpsutamaro04

琴棋書画 歌麿
琴棋書画 歌麿
琴棋書画 歌麿
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琴棋書画 歌麿

大判錦絵三枚続 右29.6×26.1cm 中39.0×26.4cm 左39.6×26.3cm
落款:哥麿両
板元:蔦屋重三郎
広い庭にたちならんだ建物の彼方の棟では碁を打つ※、右の棟では琴を弾き、大広間では腕に自信のある女性が絵の制作にふけます。
この「琴棋書画」というのは、古来中国で四芸と称され、士君子の余芸として欠くことのできないものとされました。徳川幕府は儒教奨励の政策をとったためか、御川絵師が多い狩野派画人には、好画題の一つとして多く取り上げられています。
ここに描かれたさまざまな女性のポーズは、先輩重政や清長に私淑しながら自己の芙人画作風を確立しようとする歌麿習学期の大戊だといえます。そして三枚続きの大画面をいかに巧みに構成するか、苦心した成果の跡がみられ、本図は保存状態がよいため、色面構成の工夫および特徴が示されているといえましょう。画中上部の短冊や色紙形に書き込まれた紀長人、橘打杖、市仲住、千客万来などの狂歌師たちは、板元:重や歌麿と友人であったといいます。
喜多川歌麿 Kitagawa Utamaro

Wikipedia Kitagawa Utamaro

 

ウィキペディア 喜多川歌麿

 

琴棋書画とは

文人は琴棋書画に代表されるような芸能を遊戯として嗜みました。このほかにも、詩や篆刻などが文人の芸としてあげられましょう。詩書画をよくする者を三絶と称賛したように多芸を「よし」とする風潮があり、絵画に詩を書して落款し印章を捺すという複数の技芸を総合した文人画のような芸術が生まれました。しかし、文人達はこれらの芸を飽くまで自らが文雅を楽しむための余技として捉え、他者から職業的な営みと見られることを極度に嫌いました。金銭を目的とすることは雅を尊ぶ文人の価値基準には堪えない俗物的な行為とされたからです。やがてたとえ権力者であろうとみだりにこれらの芸を披露すべきものではないという気骨を生みました。このような反骨精神をもった文人の逸話がいくつか伝えられています。琴の名手である東晋の戴逵・宋の范曄、画芸に秀でた宋の鄭所南(鄭思肖(中国語版))・元の倪雲林などは、ときの権力者に屈することなく自らの矜持を貫きました。ただし、実際には芸を売って糊口をしのぐこともこれを貪らないかぎりは下賤とは見做されず、貧窮にあえぐ文人の多くが書画を売って米に換えました。画芸では元末の呉仲圭・王元章、書芸では明の祝枝山(祝允明)・王鐸・唐伯虎、などが作品を売って生計を立てています。時代が下がるほどそのような例が多くみえます。

琴棋書画は東洋で古くから教養ある人々高士たちにとって大事なたしなみでもあった。そのため早くから好まれて画題となり、数多く描かれてもいる。この四字句、つまり琴棋は字の如く琴を弾じたり、棋(または碁)を打つことは高士たちらしい遊興であり、書画での書は詩作にふけって、童子に墨をすらせて賦(ふ)したり、画は描くのでなく、鑑賞して娯しむといった文雅の道に通ずることが理想とされています。

e国宝から引用

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