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北斎と広重の風景版画の新段階

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 北斎と広重、この名は浮世絵史上の二人の代表的人物を指し示していると同時に、浮世絵における風景版画を意味する代名詞でもあります。浮世絵の風景画のジャンルは、この二人によって大成され発展させられたといってもけっして過言ではないでしょう。風景版画史の”起承転結”の展開のなかで、「転」と「結」とにあたる部分で、独創的境地を築きあげ、浮世絵風景版画に絶対的な芸術性と、独立した地位を確立させたのは、まさしく北斎と広重の功績でした。
 十八世紀中期ごろまでの浮世絵の風景版画は、菱川師宣や奥村政信らの作品に例をみるように、大和絵に範をとってはいるがそれをいっそう素朴な表現に置きかえた、いかにも民衆版画らしい稚拙な味わいをもった内容に終始しているものが多いです。
 これが十八世紀後期に入りますと、西洋画の影響を直接的、間接的に摂取しながら、歌川豊春の浮絵作品に代表されるように、自然空間の深みを自覚し、それを意識的に描きだそうとする方向に向かっていくのです。
 そして、浮世絵風景版画のそうした傾向へ拍車をかけ、さらに浮世絵をふくむこの時代の風景画に変革を与えるほどの強い衝撃を与えたのが司馬江漠です。
 西欧の写実主義精神に傾倒した江漢は、蘭学者たちとのつながりを通じて西洋画の技法を修得し、天明三年(1783)にわが国においてはじめて銅版画(エッチング)を創始し、それにつづいて油絵の制作もおこなって近世絵画史に新たな動きを導きだす一因をつくりました。
 江漢の風景画は、遠近法や陰影法をはじめとして、豊春の浮絵のような、それまでの西洋画法にもとづいた作品よりもいっそうその新画法に対する理解を深めており、より写実的で合理的な自然空間の表現に成功しています。
 また一方で、享和(1801~04)ごろには司馬江漢についで亜欧堂田善があらわれます。この奥州出身の画家は江漢とは別途に銅版画に、あるいは油彩画にと、江漢の作品をより一歩前進させるような、すぐれた洋風画作品を残しています。
 このような洋風画作品は、同時代の風景画にじつに重要な影響を及ぼさないではなかったようです。
 谷文兄を中心とする南画界における、”真景図”と称される写実的風景画の流行にも、江漢の新視点による風景画が感化を与えていることはいうまでもありません。
 また鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎、鍬形蕙斎などの、同時代の浮世絵師たちもこうした動きに敏感に反応し、それをもちまえの器用さと貪欲さで吸収しながら、自己の作品の内に取りこんでいくのです。
 なかでも清長は、もともと美人画を得意とする画家でありながら、風景画に対して強い興味をもち、これを美人画の中に用いることを思いつきました。
 鈴木春信の美人画でもよくわかるように、それまでの美人画では背景に風景をとり入れても、それは暗示的、象徴的な風景画にとどまり、現実的な自然の風景とは遠く隔たるものでした。
 ところが、清長は豊春や江漢らの作品を学ぶことによって、現実的な広々とした自然空間を表現することが可能になりました。そのため清長の画面には以前の美人画にはなかった奥行きとひろがりがつくりだされ、その中で彼の描く美しいプロポーションをもった女性たちは、じつにのびのびとした動きをみせ、明るく息づいています。
 清長が美人たちの背景に描いた風景画は、それだけをとりだしても風景画としてかなり質の高いもので、「美南見十二候」シリーズの中の「品川沖の汐干」のように、すでに広重の風景画を予告しているようなものもあります。
 清長は「江都八景」といった本格的な風景画を思わせる作品も描いていますが、それはわずかなもので、彼はそれ以上風景画に入りこもうとはしなかったようです。
 美人画と風景画を組みあわせる清長の手法は、歌麿や勝川春潮、鳥文斎栄之などの美人画家もこぞってとり入れていますが、北斎もまた清長をかなり研究した形跡がみられます。たとえば彼の『隅田川両岸一覧』(図7)などの狂歌絵本における初期の風景画には、人物と風景の扱いなどに清長の作品に通ずる要素が指摘できそうです。
 清長作品では、主体となっているのはやはりあくまで美人描写であり、風景はそれに属する従の地位に置かれざるをえませんでした。そこでは、人物は大きく、背後の風景からとびだすように描かれており、風景と人物との関係はまだ現実的、合理的とはいえません。
 北斎は豊春の浮絵、江漢の洋風画、そして清長の美人画などを学ぶことによって、まず合理的な自然空間の表現を修得すると同時に、風景画を清長のような人物画に従属する地位から浮世絵における一佃の完全に独立したジャンルとして解放します。そして「富嶽三十六景」(図14~17)や『富嶽百景』(図18・19)に代表されるように、北斎自身の強烈な個性をぶつけながら、そこに庶民の生活感情をもりこんだ風景画を完成させていくのです。それは文晁たちの南画や江漢・田善たちの洋風画とは別趣の、浮世絵ならではの芸術領域を形成しています。

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