北斎の芸術的風景版画

 北斎の場合もまた、個々の対象の表現に対して、写実的な手法をとり入れていることは広重と同様です。
 自然がつくりだす種々様々な造形の妙と、その存在物の奥にひそむ、万物の根源とでもいうべき生命力を、鋭く追求しようとするのが北斎芸術の真髄でした。

 だがこれを画面に表現しようとするとき、北斎の創造意欲は激しく燃えあがり、そこで対象は北斎自身による新たな造形の過程を経て、はじめて画面に再構成されます。そしてこの過程のなかで北斎は、機知や奇巧、誇張といった自己の意志を大胆に組みこみながら、それによってみずからの目的の、よりいっそう高い表現効果をはかろうとしています。
 こうした点から、北斎が描きだしたものは、おのずから自然のありのままの風景とは、だいぶ異なった姿となって生まれ変わってきます。
 北斎の強烈な自己主張に裏付けされ、再編成された表現というものは、写実を基調とする広重の口から見れば、結果的には「例の才筆」によって「絵組のおもしろきを専らと」する絵画であり、自分の制作態度とはまったく異質のものとして映ったのでしょう。
 広重は人間を自然の内にすっぽりと同化させ、調和のとれた一体感をつくりあげました。一方、北斎は「富嶽三十六景」などの風景画が示すように、人間と自然というものがおたがいに独立した存在であることを認めながら、その中で共存関係を保っているようにみえます。北斎芸術
 これは二人の風景画の中から人物をとりあげて、それをクローズアップしてみるとよくわかるのですが、広重の人物が風景の中にあってはじめて生きてくるのに対し、北斎の人物は風景をとり去っても、やはりいきいきと、一人立ちした存在感を示すだけの力をもっています。
 北斎と広重、この二人の風景画作品が示す自然と人間の関係は、彼らが自己の芸術を社会のなかでどう位置づけるかという、個人と社会との関係の認識の問題にも反映されているようです。
 広重が日本人なら誰もがもつ共通の心情に訴えるという、いわば大衆的立場にみずからの芸術の足場を置いたのに反し、北斎ははじめからあくが強いと感じられるほどの独特の個性を前面に押しだし、強引に突き進もうとする態度をとりました。
 これは、近世人としての広重に対し、近代人的一側面をもつとされる北斎との、人間的な違いでもあっろう。最後に、北斎と広重を描いた肖像画がいくつか残されていますが、そのうちの一つをとりあげ、彼らの姿を思い浮かべてみましょう。まず広重の像として、その死後、三代歌川豊国によって描かれた肖像を見てみましょう。これは広重の晩年の相貌をじつによく活写しています。
 青緑地の着物を着て、どっしりと正座するその端然とした姿からは、当代随一の風景画家としての風格がただよっています。剃髪していますが、眉は黒々として太く、鼻筋が通り、全体として整った顔立ちの人であったことが想像できます。
 特徴的なのはその両眼でしょう。明敏さとともに、温厚な光を宿す双眸には、人をひきつける親しみやすい広重の人柄の魅力が秘められているように感じられます。実直で折り目正しく、穏健な性格の人物であったと伝えられますが、豊国の筆はそうした広重の人間性の核心をあますところなくとらえています。
 一方、『葛飾北斎伝』(飯島虚心著)に載せる北斎像は、肖像画としては質的にこの広重像とはくらべものになりませんが、最晩年の北斎の相貌を伝えてくれるものとして貴重です。
 痩せて骨ばったその顔は、頭蓋骨の上に皺だらけのたるんだ皮膚がのっているだけのようで醜悪でさえあります。伸び放題の頭髪や無精髭、黒一色の粗末な着物、まるで乞食坊主のようなみすぼらしい格好を、北斎はわれわれの前にさらしています。しかし、頑丈そうな顎と強く結ばれた唇には、いかにも北斎の意志の強さがむきだしにされているようです。また深いくぼみの中にある切れ長の目の奥から発せられる、どこか遠くを見つめるような鋭い烱光は、この人物に一種名状しがたい威厳と崇高な雰囲気を与えています。北斎は自分自身を狂人化し、奇行奇癖も多かったですが、その心底には芸術に対する激しい情熱と高い理想がいつも赤々と燃えていました。
 この『葛飾北斎伝』の北斎像は、一見異様な風貌の内側に、北斎の高邁な精神世界のあることを描き伝えようとしているかのようです。

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