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百花園涼み 歌麿 jpsutamaro07

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百花園涼み 歌麿
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百花園涼み 歌麿

大判釧絵三枚続 右37.6×25.4cm 中37.6x26.1cm 左37.6×25.5cm
落款:哥麿画
板元:蔦屋重三郎
 日本にも三枚続き中の単独図はあるが完品は大英博物館所蔵:本図が知られるのみです。
 三枚続きの大画面に男女十一人の人物を配していますが、清長の創案といわれる大判三枚続きの特徴―単独図でも充分鑑賞にたえる図が、続き絵とするとさらに変化あるムードをもつ作品となるIt-をよく示した作品といえます。そして「風の手はとらへどころも夏の夜のすずみの庭にひきもいれたや千枝捧元」、「夏ながら雪のはだへのすずしさよこしぢにおりしちぢみかたぴら よみ人白寿」、「まくはうりおにひとくちのすずみ台おんなのなかのまめ男とて 垣本只住」という三つの狂歌を図の上部に故らし、当時の風流人の遊楽ぶりを兄事に表現しています。そして各図に一人だけ、衣裳模様の細密描写を試み、他の人物のあっさりした描写との変化によって画趣を出す作風を示しています。こうした画法に、歌麿の成長を知ります。
喜多川歌麿 Kitagawa Utamaro

Wikipedia Kitagawa Utamaro

ウィキペディア 喜多川歌麿

文化元(1804)年、骨董商の佐原菊塢さはらきくうが梅やすすきなどの日本古来の草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に造園した庭園。名称は江戸後期の画家酒井抱一が「梅は百花のさきがけ」の意から名付けたとされます。当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれました。現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されています。

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