拙宗等揚筆 出山釈迦図 せっそうとうようひつ しゅつざんしゃかず Sesso Toyo wrote. Figure exiting the mountain Buddha. 雪舟 Sesshu
紙本墨画 一幅 99.0×33.5cm
釈迦は苦行を成し遂げるために、山に入り、一心に身を犠牲にし、煩悩を断ち切ることに専念した。だが、いかに自身を痛め付けても、人を教化することは出来ず、その益のないことを悟り、山を下り里に戻って来てしまった。それは12月8日の払暁であったと説かれている。身は痩せ細り、胸には肋骨が覘き、修業の厳しさが示されているが、顔にはすべてのことが開悟されたような悦びが満ちている。禅宗ては、よくこの画題が描かれる。それは実践によって得た体験に基づいて、悟りが開かれたことを意味するために描かれたのてある。だが、この画題を描くには、それ相当の画僧としての地位の高さがなければいけなかったと考えられる。つまり相当禅的な経験を持ち、修業を積み重ねた者のみが描ける画題てあったのてある。
ここに印を捺した「拙宗」「等揚」と読める人物が筆者てあったはずで、音通から雪舟等楊とほとんど同じてあるところから、雪舟と名乗る以前の号てあったと考えられている。画風からも、相当熟達した墨技が窺われ、品格の点からも、釈迦の容貌や描線に筆者の力量が示されている。減筆体(筆数を少なくして描き出した峻烈な墨画法)て容貌をまとめながら、梁楷風の描写に終始している。節度のある衣文線、速度の速い筆勢などには、晩年の雪舟筆技を生む基盤が現われている。惜しいことには、恐らく図上に禅詩僧の著賛があったと思われるが、現在それが失われていることて、数少ない拙宗等揚画に、致命的な解明の根拠をなくさせている。
Sesshu 雪舟