山水図 龍崗真圭賛 さんすいず りゅうこうまさけいさん Landscape view of the Word of Ryukou Masakei has entered. 雪舟 Sesshu
紙本墨画 一幅 80.8×32.7cm
この図は李孫、朴衡文の賛を伴った「山水図」と同類の作品で、周文画様の山水図である。しかし、近景の岸辺から中景の樹林や径路を通して、遠く寺の楼閣や、連山へと導く奥行のある構成法は、むしろ雪舟ならではの整然たる確かな構図である。
図上には当舟に「雪舟二字説」を与えた龍崗真圭の賛を伴い、詩画軸の形態をそなえた作品である。この真圭との交際は、雪舟の画人としての性格を左右する程重要な意味があり、真圭が京都鹿苑院を去ってから、大内氏のもとで生活していたことも、雪舟にとって重要な関係があった。龍崗は、山舟に号をつけた名付親であったことと、大内氏縁者との関連で、政治的に大内政弘のために支援していたようである。香積寺に入寺した経験もあり、再度の来山もそれを物語っている。かつて呑積寺五重塔(現瑠璃光寺・捕5)の初層に安置されたと伝える像は、現在洞春寺に移された真圭像(塑造)である。この像の存在と寺との関係から考えて、彼の寂年は判然としないが、山口の地て没したかと思われる。因縁浅からぬ両者の結び付きを、この幅は包蔵している。画様から見て、また「雪舟筆」と落款を書いているところから、入明以前てはないかと説くところもあり、にわかにそれと判断は出来ないが、号をもらった当時の画風を考えれば、まだ入明以前のため、画風が周文風に従っていた時期にも当る。入明後はがらりと画風が変化するのて、この作を文明期に入ってからとは考えにくい。
※賛(さん)とは、東洋画において、主に鑑賞者によって作品に書き加えられ、書作品また文芸作品として、もとの作品の一部とみなされる鑑賞文、賛辞。絵画作者自らが賛を書くことを自画自賛という。
Sesshu 雪舟