山水図 自賛・月翁周鏡等賛 さんすいず じさん・げっとうしゅうきょうとうさん Landscape view of the Word of myseif and Gettosyukyo has entered. 雪舟 Sesshu
国宝 1495年(明応四) 紙本墨画 一幅 147.9×32.7cm 東京国立博物館
古くからこの図は「破墨山水図」と、呼びならわされている。それは、雪舟自賛の文中の「破墨」とか、禅僧月翁周鏡(明応九年没)の賛の「胸中破墨最奇哉」によっているようだが、墨法から見れば、むしろ溌墨の法に近いといえる。自賛の文中にある「破墨の法」は、「設色の法」と対句として用いられていることから考えれば、破墨は一般概念の「水墨の法」と、解した方がより妥当で、この画面の説明ではないのである。画法の説明
なら、この図を与えるのであるから必要はないし、この図をよく見て理解することこそ重要なのである。
この幅の最も重要なのは、弟手の中でも、鎌倉円覚寺の蔵主如水宗淵に帰国にあたって画法を附与したこと、それを饌の印可状としたという意味があることである。さらに雪舟みずから賛を書して、宗淵来遊のことから始まり図の作製の理由、因縁、かつ自身が中国に渡った経路から、中国明画壇の人々の画法の特色が述べられているばかりか、帰国後顧みれば、やはり我が国の水墨画の雄、また師匠であった如拙、周文がすばらしい画人であったことを賛えているあたり、師弟愛のこもった文章である。また雪舟の人格の一端をのぞき見た感じすらあり、雪舟研究上重要な作品である。図上の多くの賛者は、雪舟を知る人や、まだ知らぬ人でも、画名のとどろいたことに詩を寄ぜた人達である。月翁周鏡(?~1500)、蘭坡景蔭(?~1501)、天隠龍沢(1422~1500)、正宗龍統(?~1498)、了庵桂悟、景徐周麟ら六人の詩僧が、図上に賛を書き連ねている。しかもその賛者は、雪舟の画についての賛辞を述べ、この墨法の秀でていることを賞している。
雪舟七十六歳の画境を示し、墨線を没し、墨画の鋭さと柔かみを一気に見せた作品である。水墨の神秘性の中に、新鮮な力強い気晩が込められている。抽象絵画的な解釈からも、東洋の名品として掲げられるものである。
Sesshu 雪舟