拙宗等揚筆 達磨図 せっそうとうようひつ だるまず Sesso Toyo wrote. Daruma image. 雪舟 Sesshu
紙本墨画 一幅 79.0×33.8cm
太い淡墨線てくくられた、頭巾をかぶる達磨図てある。左向きのこの図柄は禅宗画僧のよくするところてあるが、顔の表出にだけ濃墨を用い、達磨の容貌を強く表現したところにこの画の特殊性がある。らんらんと光る眼、への字の口許、眉と聚のあらあらしい表現、左耳の環がきわめて強く、見るものの心を射る。描写は簡略てあるが、堂々とした量感と顔貌から、畏怖の念を起させる達磨像となっている。達磨像を描けるようになることは現在の感覚ては普通のことのようてあるが、しかしただ形骸を真似ることはてさても、真の達磨像というものはその筆者の心情によって描くものてあって、筆者の達磨観がなければ、普通の形だけの達磨像になってしまう。この画像はやはり修業をつみ、みずから得た達磨観が、これを描かせたものてあろう。
そこて筆者は、この画幅の右下隅に明瞭に自号と諦との二印を、捺したといえるのてある。つまり正式な心の像を描いた証拠てもある。これは「出山釈迦図」にも、図が釈迦てあるために二印を捺したという解釈も出来るわけで、山水図、花鳥図、他の人物図には 「等揚」或いは「拙宗」の一印だけを捺しでいるのを見でも、それだけ筆者拙宗が、敬虔な心情でこの仏祖、初祖を描いたと解することもできる。
この図も図上に賛を加えるべきものであったし、賛を待つ形になっでいるが、現在はない。「出山釈迦図」は明らかに賛があったものを、切られで別紙が貼られでいる。もし賛者があれば拙宗の重要記録となったはずで、まことに惜しいことである。
Sesshu 雪舟