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高島おひさ 難波屋おきた 歌麿 jpsutamaro21

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高島おひさ 歌麿
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高島おひさ 歌麿
高島おひさ 歌麿

ライン

高島おひさ 歌麿

細判錦絵組物(両面摺)33.2×15.4cm
落款:母暦画
板元:不明極印
22 難波屋おきた
細判錦絵組物(両面摺)33.2x15.2cm
落款:歌麿画
板元:不明極印
 この両図は、いずれも一枚の奉崇:の表裏をうまく利用して、寛政期を代表する人気女性高島おひさ、難波屋おきたの美しさを立体的に描こうと、両面摺りという特殊な技法を用いて、用紙の表裏にそれぞれの前姿と後姿を摺った作品です。図版でもそうした歌麿苦心の作意の一端がわかればと、原画と同じように二ページにわたって表裏を印刷して紹介してみました。
 歌麿は、このおひさとおきたがよほどお父に入りであったのか、茶汲み姿で、また日常の風俗でというように、全身像、七分身像、大首絵など種々の構図で、ほかの評判女性以上に多く描いています。
 難波屋おきたは、浅草観音境内の水茶屋難波歴の茶汲み女で、美貌であったばかりではなく、少ない茶代でもおせじもよかったという性格のよさも、彼女の人父を高めていたといわれる。
 おきたに対して、高島おひさは、両国薬研堀米沢町二丁目の煎餅屋高島長兵衛の長女であ。た。生家は、公儀御用の巻煎餅を業とし、資産も相当あり、両国橋付近の興行場はみなその所有であって、また水茶屋も経営していたといいます。おひさはその水茶屋の看板娘でした。
 歌麿は、こうした両者の違いを、おきたはお茶をささげ、煙草盆をさげたさっそうとした姿で描き、おひさは団扇をかざしたおっとりとした姿で描き分けています。
喜多川歌麿 Kitagawa Utamaro

Wikipedia Kitagawa Utamaro

ウィキペディア 喜多川歌麿

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