山水図 牧松周省・了菴桂悟賛 さんすいず ぼくしょうしゅうしょう・りょうあんけいごさん Landscape view of the Word of Bokusyosyusyo and Ryoankeigo has entered. 雪舟 Sesshu
国宝 紙本墨画淡彩 一幅 118.0×35.5cm
雪舟の作品中、平遠(展望のきく)山水図はまことに珍しい。それに、遠景に水平線的な水汀をはっきり示した作も、はなはだ少ない。画法的にも直線的な描線をさけて、墨面を生かす画面へと展開されている。その意味て、雪舟自身、意識的に作風の変化を求め、そこに発展を試みていたとも考えられる。
図の主要部分は、従来の個性的な墨線が生かされていて、斜めの方向へ墨面を大胆に組み入れ、濃淡墨色の織り成す調和をはかり、家屋と連山との距離感が付けられている点は、特に注口される。図上には、雪舟の良き理解者てあった牧松周省と了菴桂悟の賛が賦されている。
この画は、雪舟没後山口の天開図画楼の画室の中にあったのを見つけ出され、後、賞が書かれたのであろう。この賛文をよく読めば、雪舟追悼の詩であることがわかる。牧松周省は雲谷庵によく遊びに来た知友でもあるから、その死を悼みつつ、遠からず自身も逝くことを詠んでいる。
了菴桂悟は、この画房の記録を書いただけあって、その内部や雪舟の性格もよく知っており、すでに雪舟、牧松の逝った永正四年(1507)、淋しげな雲谷庵での名残を綴っている。それは雪舟晩年に、逢うこともなく別れてしまったことへの咲に送ったものとなっている。画面は往年の覇気こそないが、晩年に至ってなお次の段階への、山水様式を構えた悲壮な態度が示されている。画房中に牧松の賛を施したまま放置されていた絶筆か、とも思われる。齢老いてからの日常でも、常に画のことを考えて止まぬ、如何にも画人らしい真面目な作画状況が知れるのである。永久に止まることを知らぬ、偉大な画人としての鑑が作品によって物語られ、また図上の詩はその感情を、いやが上にも燃え上がらせる貴重な意味を持っている。
※賛(さん)とは、東洋画において、主に鑑賞者によって作品に書き加えられ、書作品また文芸作品として、もとの作品の一部とみなされる鑑賞文、賛辞。絵画作者自らが賛を書くことを自画自賛という。
Sesshu 雪舟