拙宗等揚筆 山水図 龍崗頁圭賛 せっそうとうようひつ さんすいず りゅうこうまさけいさん Sesso Toyo wrote. Landscape view of the Word of Ryukou Masakei has entered. 雪舟 Sesshu
紙本墨画淡彩 一幅 98.2×33.2cm
この「山水図」には正木美術館の「山水図」にある「拙宗一印と同じ印が捺されている。前者は草体の「山水図」てあるが、この幅は謹厳な墨法を用いている。突几した遠山を配し、中景には屹立する断崖と、その岩を通して道がh上がり、山の中腹の開けた所、樹間に寺塔の幾棟かが隠見する。近景の谷間には丘の道を騎随物と辰童子が、向いの崖にかかる滝を見ながら進む。
この縦長の図柄に展開された筆者拙宗の画風は、かつての周文様式の山水画様から出ているとはいえ、視点を中景の崖上の楼閣、寺塔に絞り、図上に多くの空間を残す方法は、彼独ぽのものてある。いかにも中国画、或いは川文様からの脱皮を試みている構図といえる。また図下部に描かれた騎馳物の姿は、雪舟が入明中制作した「四季山水図」中、春景にあるものと全く同じ感覚て、見上げる姿を描きこんている。また崖の表現、その皺法には、後の一舟を思わせる筆法の前兆を見ても差し支えあるまい。
さらにこの図には筆者を決定づけるものとして、図上の龍崗真圭の賛がある。「山水図 龍崗真圭賛」にもあり、この幅との関係をどこに置くかてある。両図にある巨岩や樹木に見られる筆法の相似は、まさに同一筆者の筆になると見るより他にはない。賛者は「雪舟二字説」の龍団、印だけが、款記と「等楊」(白文方印)に対し、「拙宗」(朱文重郭方印)てある。この「拙宗」印は「拙宗等揚筆 山水図」と同形同寸法、しかも大内氏並びに川防国関係者の賛てある。同一年代に同じような禅名を持つ僧はいたてあろうが、同じ筆法て、同じような山水画様の筆者てたまたま龍崗のような賛者までを同じくするものが二人いたとは考えられない。まして「拙宗」と「雪舟」という同通音の二人ということでは、これは如何にしても同一人視しなければならないであろう。
雪舟の場合、年代的にも龍崗との関係は、彼の前半生を決定する重要な人物である。従ってこれは「雪舟二字説」を貰う以前の作ということになり、文正元年(1466)以前と制作年代を決められるという意味も包蔵されている。
※賛(さん)とは、東洋画において、主に鑑賞者によって作品に書き加えられ、書作品また文芸作品として、もとの作品の一部とみなされる鑑賞文、賛辞。絵画作者自らが賛を書くことを自画自賛という。
Sesshu 雪舟