山水図巻 さんすいずまき Landscape view of the winding. 雪舟 Sesshu
重要文化財 紙本墨画 一巻 23.6×554.5cm
雪舟が中国に渡った折、多くの宋元水墨画に接してきたことが、当時の画他の中て最も経験豊富にしたことは、論を待つまてもない。夏圭、李府のような峻厳な墨法から、梁楷の筆勢、牧鉛。玉澗の湿潤な水墨法、はたまた米希、高克恭(彦敬)の文人系統の墨法を、修得して帰ったことは「倣何々」の図様で知ることができる。
この図巻の奥書には、雪舟自筆識語に弟手雲峰等悦のために与えたことが書かれていて、いわば画学の印証として与えたことがわかる。さらにその後に、木下俊長が分割した経緯を記した践文がある。同図巻はかつて二つに切断され、前半は現在某家に存し、後半は長谷川某なる者が模写して、前半部に加えたこともわかっている。
先の識語にもあるように、高彦敬の画法にならったとあって、潤墨の法を生かした高氏の画法を忠実に伝え、さらに雪舟独自の用墨法と、筆法を描き示したものである。この後半については、現在模写で補われていて、当時の画法や筆法は知られないが、恐らくこうした柔かい筆法と、大きく捉える図柄が展開されていたと考えられる。しかしその前半を見ても知れるように、雪舟独自の構成に、この画巻の内容は変えられている。こうしたことは、雪舟が早期の弟手雲峰等悦に与えた手本的な意味と、雪舟自身の構想を、弟手等悦がこなすであろうと予測して与えた意味とで、弟手教育の一端と見ることもできる。明国から帰ってから、直ちに附与した画巻の記載と一致する。この画法を用いた作例も多く、フリーア美術館所蔵の「山水図屏風」等に見られる、柔かい温和な筆様で全巻が通されており、元代初期(十四世紀初頭)の有名な米帯らの画風が、踏襲されていると見られる。雪舟画様の多様性を物語る一つである。
Sesshu 雪舟