益田兼堯像 ますだかねたかぞう Masuda Kanetaka image. 雪舟 Sesshu
重要文化財 1479年(文明一二紙本着色 一幅 75.7×40.2cm
益田兼堯は、島根県益田の城主て、応仁の大乱て畠山義就と戦い勲功のあった武将てある。また、雪舟が世話になった大内氏とも縁戚関係にあった。文明十七年(1485)に卒するが、それ以前兼尭が大道の折、俗体を去るにあたって描いたのが、この像てある。世に雪舟筆と言われる画像の中ては、最も優れ、品格の高い容貌を正確に捉え、謹厳な描写のうちにまとめている。肖像画てあるから、従来の大和絵的な描線も用いられているが、像を画面一杯に描いたり、身体を包む描線にも、あくまてリアル感を高める表現に努めているあたりは、雪舟の像主に対する敬虔な気持ちが認められる。
図上の賛者、竹心周鼎は大内氏の縁者てあった勝剛長柔の法弟てあって、石見益田兼堯から帰依を受けた、東光寺の僧てある。賛文の年記に、文明十一歳冬とあるが、恐らく雪舟が益田に掛錫した折に、描いたと思われる。これは。雪舟の行動を示す意味と、肖像画を描いたという例証としてまことに貴重てある。
Sesshu 雪舟