四代岩井半四郎の乳人重の井 写楽
大判錦絵36.6×23.8cm
葉震東洲粛寫集画
板元:蔦屋重三郎極印
所蔵:大英博物館
重の井は伊達与作と不義密通し、成敗されるところを父竹村定之進と大殿由留め木左衛門のはからいで救われ、由留め木家息女調姫の乳母となります。やがて姫が縁組みのため東へ下ることになりましたが、それを嫌がる姫をなだめるのに呼ばれた馬子の三吉が重の井の実の子でした。守り袋を証拠とすがる息子を重の井は突き放す、「子別れ」の場面です。重の井の持っている守り袋がそれを示しています。
四代岩井半四郎は、天明三年(1783)「上上吉」に進み、翌年春四代松本幸四郎と上阪し、同六年冬江戸へ帰り、寛政元年「極上上吉」にhる。同七年春大阪へ上り、冬江戸へ帰ります。以後三代瀬川菊之丞と江戸女形の両巨頭として競いました。
丸顔のためお多福半四郎といわれ、愛嬌よく、芸風はなやかで評判でした。この絵は清楚さをモットーとしていて、着物は白地に薄紅の蝶扇の模様(半四郎の替紋)で、倆推の紫、下着二枚の襟は薄紅で縁どられて、あくまでも重の井の気品をそこなわぬよう配慮されています。
東洲斎 写楽 Toushusai Sharaku