三代坂東彦三郎の鷺坂左内 写楽
大判錦絵38.5×25.5cm
落款:東洲庸寫渠画
板元:蔦屋璽三郎極印
鷺坂左内は由留め木家の執権。そして与作の烏帽子親(元服の時そのしるしに烏帽子をかぶせた人)で、つねに与作をかぱい通す役です。この絵の場面は、四立て目の伊達与作が由留め木家下屋敷で父与三兵衛に勘当されたところへ、腰元姿の重の井をつれてくる役です。于にもつ雪洞がこの場の役であることを端的に示しています。
着物の配色にさえない憾みはありますが、端正な顔には品があり、目の上の皺とロの結び方に気性の強さがうかがわれます。
三代坂東彦三郎は、明和七年(1770)に襲名し、まず若衆方として重く用いられ、安永八年(1779)市村座で立ち役となります。その後和事の上手として名を高め、寛政九年「上上吉」に進みました。容姿と品位にすぐれ、実父羽左衛門と養父菊五郎の芸風を折衷して新生面を出し、地芸と所作事を兼ねて、世話物より時代物に適していたといいます。由良之助・菅丞相では当時無類といわれたほどで、この左内の役もこれらを類推すれば適役であったと思われます。
東洲斎 写楽 Toushusai Sharaku