溌墨山水図 景徐周麟賛 はぼくさんすいず けいじょしゅうりんさん Haboku landscape view of the Word of Keijosyurin has entered. 雪舟 Sesshu
溌墨山水図 景徐周麟賛
紙本墨画 一幅 22.7×35.4cm
東京 出光美術館
溌墨山水図 汝南恵徹賛
紙本墨画 一幅 22.7×35.5cm
この両図が示すように、雪舟の墨法とすれば、草体の山水画様である。この墨色のほとばしるような勢いのある筆致で描き出された墨塊の中には、深みのある潤いと焦墨(焼けただれたような濃墨色)の乾ききった鋭さとが共存して、不思議な墨の神秘性を表わしている。ほとんど無線に近い描写で、むしろ墨面で表わされる量感を見るものに与え、淡墨の淡さの中に柔かみのある温かさと水気を充分たたえた豊かさとが感じられる。この強弱の織り成す表現によって水墨の極致が示され、これがまた雪舟独自の画風ともなっている。中国画様から言えば、この種の画風は玉澗様といわれるものであるが、雪舟は玉澗様から抜け出て、峻烈で直線的な描法をここに混入して、別の世界を創始したと言うべきである。
この両幅の間には相似た要素は多くあるが、図の構成上にはかなり異った狙いをもって描かれている。墨法上は同一であるとはいえ、このように変化を持たせている点から、この図はかつてこの種の墨法をおさめた数図の画巻形式のものであったと想像される。それは両幅の寸法を見るとほとんど同一であり、画巻形式の一紙が現在、二幅に仕立てられたと解されるからである。つまり草体山水図の画本的意味のものと推測され、或いは草体画様を弟手に伝授するためのものが、今は分断されたものであろう。かつて等悦に附与した行体の「山水図巻」と同様、草体山水図巻として弟手に附与されたものであろう。
図は『翰林萌芦集』の編者で、詩僧の景徐周麟(1440~1518)の賛があり、他には汝南恵徹(?~1507)の賛がある。両者は共に雪舟の画事については一見識を持った禅詩僧であったし、存命中から交遊もあったから、著賛をしても何の不自然さはない。特に景徐は、宗淵附与の「山水図」に寄せた賛にもこの種の画様についての厳しい批判と画様を明瞭に言いあてでいる畑眼の僧であった。汝南は了庵桂悟と親しく、東福寺で交わるうちに、雪舟の画業を知り、晩年芸州(広島県)蓮華山永福寺に住し、雪舟との近接を知られる。また画にも筆を染め、作例も現在二図知られている。共に両者は雪舟周辺の親しい詩友であった。
だがこれらの出来た折から、賛が書かれていたか否かは不明である。両図をいま一度眺める時、賛の書き入れられた空間にかなりの無理のあることに気付く。その賛詞と図との関連で、はじめから賛を待つように描かれていないし、賛の位置にいささか不合理な点もある。恐らく附された当初の人が、雪舟と知友であった禅僧に賛を求めたものであろう。両賛者の書き入れた年代は不明であるが、画本所持者の嗜好を反映している。
Sesshu 雪舟