拙宗等揚筆 三教・蓮池図 せっそうとうようひつ さんきょ・はすいけず Sesso Toyo wrote. Sankyo and Lotus Pond image. 雪舟 Sesshu
紙本墨画 全三幅 各33.2×46.3cm ボストン美術館
この三幅対は、はじめから三幅て構成されたものてあった。中幅の三教図は普通釈迦、老子、孔子の仏教、道教、儒教は結局一つの真理に帰着するという、いわゆる三教一致の思想や神仙思想に由来するものてあった。この思想はわが室町期の禅苑間に流行した、詩文を愛し、隠逸高雅な生活を貴ぶ風潮をもたらす根源てもあった。そして虎渓三笑の故事も三教一致の思想に基づくものてあって、さきに述べた三教の人物の服装や、他にある三教図との比較において、このボストン美術館蔵のものは虎渓三笑図と断定してよい。三笑図とは、廬山に白蓮社を結んだ慧遠法師(仏教)が十八人の優れた賢聖たちと業を積んていたが、客を送るときも、決して虎渓の石橋を越えることはなかった。だがある日陶淵明(儒教)と陸修静(道教)の両名が法師を尋ね、仏儒道の三教問答に興じ、時をかさね、夜に至って帰ることとなり、なお語ることがつきず、送って気がついてみれば、かつて虎渓の石橋を過ぎること数百歩のところまて来てしまっていたのて、三人は思わず大笑いしたという故事がある。つまり仏、儒、道の三教が考え究めるところは、一致するという諺にもなっている。この図には虎渓の橋は描いていないが、三者鼎坐の談合図として描かれ、柳葉描の温雅な描線と人物の容貌の描写には、この場面に適した落ち着きのある表現が試みられている。
「蓮池図」には左右に白蓮、紅蓮を配し、墨の没骨描の蓮葉、白蓮華は柔かみある翠線と、紅蓮華は花弁の先だけ濃墨線てふちどり、他は彫り塗りて花弁のふくらみをあらわし、図一杯に風に揺れ動くさまを写し出している。両蓮華図には淡墨の地隈が施され、花を浮かび上がらせている斬新な効果も見逃すことはてきない。
これら三幅に共通していることは、墨色の潤いを感じさせ、その僅かな変化によって物体の柔かさや実在感を深めることに成功していることてある。すなわち用墨の技法的な面ても非凡な手腕の持主てあったことになる。この三人鼎坐の図柄は、如拙筆のもの(両足院蔵)からの影響と見られ、簡略な衣文線、墨隈の法など、かなり如拙様の墨法が用いられている。白蓮紅蓮の図中、とくに[白蓮図]は京都国立博物館蔵(探幽縮図中)の雪舟筆「蓮図」に酷似している。このことは筆者拙宗等拗雪舟等楊との間の距離を縮め、拙宗の雪舟前身説を肯定する一資料になることを示すものてある。
「三教図」、「紅蓮図」は図の右下隅、「白蓮図」は図の左隅下に「等揚」朱文重郭方印が捺されている。「出山釈迦図」、「達磨図」、「杜子美図」に捺されている印と同寸法てある。
この幅はもと京都山科の名刹毘沙門堂の什宝てあったが、大正年間同院の入札に出て、米人ロバート・T・ペイソ氏の有に帰し、後、ボストン美術館に寄贈された。
Sesshu 雪舟