信州諏訪湖 しんしゅうすわこ Lake Suwa in Shinano Province.
現在の長野県岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる湖を描いたもので、諏訪湖畔には、上諏訪・下諏訪その他の町が古くから発達していました。遠景に見える城は高島城です。諏訪湖越しに見る富士が藍の濃淡だけでつくられた藍摺(あいずり)によって美しく表現されています。諏訪湖にたった一艘だけ船が浮かんでいるのも、北斎の心憎い演出と言えます。遠近法を巧みに用いた構図も北斎独特のものです。
地元の方に北斎の「信州諏訪湖」を見てもらうと、富士、八ヶ岳、高島城の位置関係から、諏訪湖の水が流れ出る釜口辺りからの眺めではないかとの見方が多いようです。私も方向的には妥当な判断だと思いますが、北斎が描いたと同様の景色は現地には発見できません。英泉や広重など他の絵師の作品にも、同様な風景は見当たらないようです。当該作品の中央部分に祠が描かれていますが、これはかつて釜口にあった弁天島の弁天社と考えられるのです。同島は、その後、対岸の高島城を水害から守るために掘削されて無くなってしまいました。しかしながら、社は、現在、公園として整備されている釜口水門近くの一角に祀られています。こんな歴史的経緯があって、北斎の創作当時にはあった風景を見つけることができず、その後の絵師も、同じ風景を描いていないということなのでしょう。
「信州諏訪湖」が、弁天島(弁天社)から富士を望む構図だとすると、湖の水が島(社)の左右に分かれ、島の周りを巡った後、流れは一つになって、天竜川に流れ出していくのだと判ります。当該作品が実景であるとするならば、天竜川の起点・釜口から、高島城、八ヶ岳、富士を遠望する作品です。ただし、北斎の富嶽シリーズは、風景画や名所絵といった範疇には収まらないというのが本ブログの出発点ですので、さらにそこに秘められた北斎の意図を改めて探ってみることにします。
葛飾 北斎 Hokusai Katsushika