天橋立図 あまのはしだてず Amanohasidate view. 雪舟 Sesshu jpssesh20

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天橋立図 あまのはしだてず Amanohasidate view. 雪舟 Sesshu
国宝 紙本墨画淡彩 一幅 90.2×169.5cm 京都国立博物館
 この図は、徳用将軍家に蔵されていた天橋立図(明暦三年江戸大火で焼失)の稿本てあると伝えられる。雪舟は中国の風景もよく描いたが、渡明帰国後日本の国を旅行して日本の風景も描き残している。「鎮田滝図」(関東大雲災で焼失)や、文献によれば石見(島根県)の益田、美濃(岐阜県)、出羽(山形県)にも足をのばしている。天橋立へ行った記事はないが、この画がそれを証明する。
 景観はまさに鳥瞰的に構図され、まことに正確てあって、地図に照してみても多少の絵空事はあるにせよ、大体真を写しており、この地まて足を運び、自身の眼て眺めたのてなければ描けないものてある。濃墨の荒いタッチがあるかと思えば、落ち着いた柔かい筆法を用い、あるいはまたすばやい筆勢を見せる所がある。また幾度か描き直しのために改めて貼り込んだ跡などから、下図の制作段階が知られる。横に大きく広がり、落ち着きのある安定感があると同時に、自由な描写力のすばらしさも、雪舟ならてはの堂々たるものてある。
 制作年代は、図中の智恩寺(切戸の文殊)の多宝塔が明応十年(1501)に建立され、世野山成相寺が永圧四年(1507)に一色、武田両氏の戦いて炎上していることから考えて、図中に両者が描かれているから、雪舟八十二歳以後、最晩年の作画ということになる。年齢を超越して制作にあたった彼の旺盛な意欲に驚くと共に、着実な写生体て自然を見つめることを忘れず、日本の風景を彼の墨法を生かしながら忠実に捉え、実地踏破した経験を土台に描いたものてある。山水画様を、このような形式て貫き通して描いた彼の画業の偉大さを、改めて見直すべき作品てある。
Sesshu 雪舟

Wikipedia Sesshu

ウィキペディア 雪舟

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